利他の精神

今読んでいる本で、思わぬタイミングで登場した「利他の精神」という言葉。
他人のために動く、誰かのために自分が犠牲になる心を持つ、というやつだ。
個人的には、利他の精神というのも巡り巡って自分のためになるわけで、結局は自分のためじゃねえか、と思っていたところがある。
純粋に相手のために尽くすとすれば、それは家族か、それに等しい間柄の相手でしかありえない、とも。
ただ、その本を読み、言葉を考える中で、今までの解釈に少し違和感を覚えるようになった。

正直な話、昔から今日に至るまで、思いやりが足りない、というのは度々言われてきた。
もちろん、相手への思いやりが全くないとは、自分でも思っていない。
誰かの役に立ちたい気持ちはあるし、結果喜んでもらえれば自分だってうれしい。
やっかいなのは、自分と相手との、気を遣うべきポイントのズレである。
気を遣うべきところに気がつかず、そうでないところで余計な気をまわし、結局お互いに疲れてしまったり、軋轢が生まれてしまったりする。
そうしたことにうんざりしている自分がいるし、それが結果として、利他の精神に対する穿った解釈につながっていたのかもしれない。
今回の違和感は、そうした問題を解決する糸口になるのだろうか。

いろいろなことが手遅れになってきたけれども、まだ間に合うこともあるはずだ。
そして、自分も世間一般では中年と呼ばれる年齢になってきているが、まだ変化も成長もできるはずだ。
聖人君子にはなれやしない。
とはいえ、多少は人並みに近づくことはできるかもしれない。
その上で、自分なりのやり方で、自分の道を生きて行ければ、と思う。

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