「文字単価」に思うこと

自分はフリーランスという立場で仕事をしているわけなのだけど、

その中で主な生業としているのは、文章を書くこと。

実際に個人の名刺(やべぇ、そろそろ発注しないと)には

便宜上記している肩書きに「ライター」と書いている。

仕事を限定したくないので「フリーランス」を自称しているけど、

ひと言で言うなら「フリーライター」ということになる。

 

書き仕事という話でいうと、今の自分は従来の「記者」「文筆家」のような立場と、ここ数年盛んになってきた「クラウドライター」の両方に足をつっこんでいる。

その中で、後者の仕事についてよく話題に上るのが「文字単価」。

いわゆる「1文字いくら」というやつである。

かつて文字数単価は「1文字10円」という時代があったと聞いたことがある。

それが、インターネットやパソコンの普及とともに、書き仕事をする一般人などが増え、それと共に価格破壊が起こり、今や「1文字1円」が高単価、とされる時代となっているようだ。

 

個人的には、文字数単価とは別のところで勝負したいな、と感じている。

そこで問われているのは、質ではなく量、というイメージがあるからだ。

どちらが優れている、という話ではなく、文章書き、クリエイターという自負がある以上、やっぱり書く物の質を問うてほしいということだ。

そこで評価されなければ、いずれ淘汰されることになるだろう。

 

ネット上の書き手たちと一線を画すとするならば、一番のポイントは「足」を使うこと、すなわち「取材」ではないかと思う。

足を使って現場に赴き、生の体験を伝える。

自分は一眼レフも使うので、場合によっては写真を撮る。

感受性を働かせ、さまざまな視点・切り口を持ち、それを元に文章を書く。

それも、ただ思うままに書くのではなく、読みやすい構成、言葉の使い方までこだわったものだ。

一文を書くにも、言葉の順番などでがらりと印象が変わるテクニックはある。

そうしたことは、多少は学んできている。

 

取材現場で得た生のソースを、確かな技術で、クライアントの要望に合わせて仕上げる。

自分は常に、そうした書き手でありたいと思うし、そのための努力も続けていきたい。

いい、悪いではなく、「文字単価」と別の領域で勝負するために。

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